日本人は英語が苦手で話せない理由は明治の人たちの頑張りだった

日本人は英語が苦手で話せない理由は明治の人たちの頑張りだった

日本人が他の国と比較して英語が苦手だという理由は諸説あり、「英語の発音がうまくできない」「文法が違いすぎている」「英語の学習時期が遅い」などがあげられますが、謎も多く残っています。

しかし、フィリピンやシンガポール、マレーシアなど東南アジアの諸外国は英語を得意としている国の人も多いです。特にフィリピンは日本でも留学先やオンライン英会話でも最近有名ですよね。

ではなぜ、彼らは英語が得意で、私たち日本人は英語が苦手なのか。その理由を探っていきます。

日本の桜

フィリピンの小学校一年生の授業

フィリピンの小学校一年生の算数の授業は、母国語ではなく英語で授業が行われています。先生は英語で授業を行い、生徒も英語でノートを取り、授業内での発言は全て英語で行います。

算数の教科書も英語で書かれたものを使用し、日本でいうと中学校レベルの英語ができないと理解することができません。理科も同じで、「植物の仕組み」や「月の満ち欠け」など科学的なことは英語で学ばれています。

一般的にフィリピンの小学校では算数・理科・パソコンの授業は英語で授業が行われ、その他の科目は母国語で行われています。

フィリピンが英語で授業が行われる理由

算数や理科を子供たちに英語で教えるのは、そもそもフィリピンの言語に存在しない単語があるからです。

例えば、理科でいうと「光合成」は”Photosynthesis”、「染色体」は”Chromosome”という単語ですが、これらの言葉はフィリピンの言語に存在しません。そのため、専門用語の説明には小学校から英語で教育したほうが都合が良いということです。

フィリピンの書店に行くと分かりますが、英語のものがほとんどです。英語ができない場合は就職先も絞られてしまします。日本だったら英語ができればアドバンテージになりそうですが、フィリピンではそもそも英語ができて当たり前、というスタンス。

だから、フィリピンの英語力は高いのです。

その他の英語ができるアジアの国々

マレーシアの書店にいっても英語の本が並んでいます。マレーシアでは近年、海外からの学生を多く受け入れており、私立大学で授業を受ける時は基本的で英語です。そのため、マレーシアの大学を卒業した人は英会話はもちろん、読み書きもできるのが普通です。

インドは元々イギリスの植民地だったということもあり、英語が使用されていますが理由はそれだけではありません。多民族国家で約850もの言語が日常的に使われていますが、民族間の言葉が違いすぎて理解できず、英語が共通言語の役割を果たしています。

日本では高度な勉強ができる

一方、日本で書店にいっても当たり前のように日本語で書かれた本ばかりです。高度な学術書でさえも日本語で読むことができます。大学生が日本語で講義を受けることに何の違和感も感じません。

日本は勉強もコミュニケーションもすべて母国語だけで出来てしまうのです。日本人にとっては普通のことかもしれませんが、これはアジアの中でも非常に珍しいことなのです。

なぜ日本では英語が不要になったのか

フィリピンをはじめ、アジア諸国は英語を日常的に使用していますが、現代の日本はではなぜ英語がこんなに普及していないのでしょうか?歴史からひも解いていきたいと思います。

明治時代は外国語から知識を得ていた

明治時代の日本ではアメリカやイギリス、フランスなどと外国と不平等条約を結びました。日本が不利な条約であったため、明治政府はこれをなんとか平等にしたいと考えます。そのためには、日本が近代化して外国と対等になることでこれを実現しようと考えました。

その当時、西洋の知識を得るためには外国人に頼る以外に方法がありませんでした。そこで明治政府は学校を作り、多くの外国人教師を雇い、授業はすべて外国語で行われます。もちろん、教科書も洋書で書かれたものを使用しています。

今のフィリピンの学生のように明治時代の学生たちはあらゆる知識を外国語で学びました。

西洋の知識を広めるための「翻訳」

西洋に追いつき追い越そうと考えた日本人はこれだけでは満足せず、西洋の知識をより広く普及させるためには日本人指導者を育成しようと考えました。す。

明治初期のエリートが集まる学校、後の東京大学になる開成学校の時間割では、一日の最後に毎日共通して「翻訳」という授業がありました。

知識を広めるためには外国語を日本語にするための「翻訳」が必要だったということです。この「翻訳」をしてきたことによって西洋の知識が日本に広まったのです。

翻訳は超大変な作業だった

一言で「翻訳」といっても簡単なことではありません。なぜなら、当時の日本語に存在せず、イメージすることのできない概念がたくさんあったからです。当時にも辞書はありましたがその内容は未熟でした。

例えば、”society”は「仲間交じり」、”economy”は「家事する事。倹約する事」、”infomation”は「教え。告知。知る事。訴る事。」、”Honey-moon”は「婚礼の後第一月」など、今の日本人の感覚からは少しずれています。

そこで漢字に意味を加えたり、中国の古典から探したり、時には造語もして新しい言葉を一つ一つ作りだしていきました。

福沢諭吉を悩ました言葉

「翻訳」をしていく中で最も有名な中心人物は福沢諭吉です。明治時代の教育者で、慶應義塾の創設者、著書には「学問のすゝめ」「西洋事情」などがあります。

いち早く西洋文明を学んだ福沢諭吉は様々な翻訳した言葉を作ったことで知られています。「経済」「鉄道」「競争」「演説」「抑圧」など、今も日本人が使い続けている言葉も少なくありません。

そんな彼が悩んだ言葉があります。それは「自由」という言葉です。

“freedom”と”liberty”の訳語を「自由」としましたが、これを「わがまま、自分勝手」という意味で日本人にとらえられたくありませんでした。そのため、最後まで「御免(ごめん)」と「自由」どちらにするかを迷っていたと伝えられています。

もし福沢諭吉がこれらの言葉を「御免」と訳していたならば、アメリカの”Statue of Liberty”は「御免の女神」、新幹線の自由席は「御免席」とちょっと面白い感じになってしまいますね。

ただ、私たちはもうすでに「自由」という意味の概念を理解できています。

日本は誰にでも高い教育を受けるチャンスがある

福沢諭吉をはじめ、明治時代の知識人が作った新しい日本語は西洋の文化と日本をつなぎました。「自然」「科学」「社会」は西洋から来た言葉、つまり日本語には当時なかった概念ですが、それらは今の日本に定着しています。

この「翻訳」の技術こそ、日本と他のアジアの大きな違いです。現代の日本人は明治の人たちが残してきた多くの言葉を無意識に使いながら、勉強し日々を生きています。

日本以外のアジア諸国は英語ができる人だけが高等教育を受けることができます。しかし、日本では自分が学ぶ気さえあれば大学や専門学校に行って、世界的にもレベルの高い水準で教育を受けることができます。

英語が話すことができなくても、ノーベル賞を受賞できる人もいるくらいです。

なぜ日本人は英語ができないかの結論

ここまで読んでいただいて分かるように、明治の人たちの努力によって作られた言葉によって、日本では日本語ですべて理解できる社会になりました。

大学レベルの知識まで、自国の言葉で学べる国は世界にそれほど多くありません。つまり、日本では就職や学業など、生きていくために英語が必要ではなかったということです。

しかし、未来はどうなるか分かりません。

最後に

AIが普及するに連れて、翻訳機などが発達するので英語を話すことは不要になるんじゃないかという声もありますが、本当にそうでしょうか?

日本語は謙遜語や尊敬語などもあり、英語ではそのような概念は少ししかありません。単にAIで翻訳された場合には簡単な意思疎通はできるけれども、本当の意味を相手に伝えられないと考えています。

他にも慣用句、例えば「猿も木から落ちる」と言う場合、AIでは何と翻訳されるのでしょうか。単に「猿も木から落ちる」と英訳されたところで、相手は「は??」となってしまいます。これを『得意な人でも失敗することがある』という意味でとらえることはできません。

日本語には日本語の言い回しがあるように、英語には英語の言い回しがあります。単純なコミュニケーションだけであれば近い将来AIでできるかもしれませんが、深く人とつながろうとして、友達を作ろうと思うとやはり英語を言語として理解することが大切です。

そうすることで、視野が広がり、世界の考えを学び、人間の幅を広げることができるようになる。そこにコミュニケーションを手段としての英語を勉強する意味があるのではないかと考えます。