やりたいことがある幸せ。やりたいことで生きる難しさ。

やりたいことがある幸せ。やりたいことで生きる難しさ。

私は林修先生が話している内容が好きで、よく彼の番組を見ます。

それに対して、あれこれ考えるわけですが、林先生がある番組で高学歴ニートの方たちに語っていたことがあります。

今回は林先生の考えについて私の意見を言いたいと思います。

私はやりたいことがあるというのは幸せなこと感じていますが、やりたいことで生きる難しさも感じています。

なぜなら、今現在、やりたいことで生きていこうと挑戦しているからです。

「やりたいこととは何か?」と考えることがあれば、参考にしてみてください。

やりたいことがある幸せ×やりたいことで生きる難しさ

林修先生が語るやりたいこと×できること

林先生の理論では「できる・できない」「やりたい・やりたくない」というのをマトリックスを使って分かりやすく説明しています。

林先生が書いていたことを図にしてみました。

『やりたいこと』と『できること』①

高学歴ニートの方々のほとんどが「やりたい・やりたくない」という基準で仕事を考えていて、これを『ジョブズ型』と言っています。

スティーブン・ジョブスは「私は本当に好きな物事しか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事にも恋人にも。」と語っています。

しかし、林先生は「やりたい・やりたくない」という基準で仕事を選んでいません。

「できる・できない」という基準

林先生は仕事を選択する時に「できる・できない」を基準に考えています。

林先生が言う「できる」は、『多くの他者が認めてくれること』を意味していて、この基準をとても大事にしているそうです。

林先生は「やりたい・やりたくない」「好き・嫌い」については偶然だと考えています。

人間の『何かをやりたい』という願望は環境や情報など外部の要因に出合ったもの。

もし、ゲームの知らない100年前に生まれていれば、ゲーム開発をしたいという願望すらないだろうという考え方です。

私もこの考え方には賛成しています。

これは個人の発想や人間社会の発展にも言えることだと常々考えています。

これは後で「やりたいことがなければ、やってみればいい」で説明します。

林修先生は「できる」が、「やりたくない」ことが平気でできる

林先生は、人は情報に欲望を喚起されて、何かを「やりたい」と考えるもの。

「やりたい」ことは絶対的なものではないと感じ、

「やりたい」ことは情報が内部化されて、自分の思いにすり替わっていると思うのだそうです。

つまり、「やりたい」ことは偶然の産物です。

何回か色んなことをやっていくと、「できる」というのは偶然ではなく必然であることに気づいてたそうです。

林先生は大学時代に塾講師をしていて、ピンチヒッターとして別の塾に何件か教えにいったことがあります。

そこでほぼ毎回「来週から来てほしい」と言われたそうです。

林先生にとって塾講師は自分がやりたいことではありませんでした。

なので、大学卒業後には銀行で働き、辞めてからは投資会社を設立しました。

つまり、林先生はやりたいことをやったのです。

しかし、やりたいことをやりながら「向いていない」と感じ、3年でやりたいことを止めました。

借金が膨らみ、それ以上やり続けると返すのが大変なことになりそうだと考えたからです。

当時、「なぜ俺はこれがやりたいんだろう?」

と考えた時に、当時の成功者がテレビや雑誌に取り上げられるのを見て欲望が喚起された。

つまり、情報に踊らされていたなと感じたそうです。

そして、「できる」ことを考えて予備校講師になり、30年間上手くいかなかったことや悩んだことがないと語っています。

その他、自己啓発の執筆やテレビの仕事なども「やりたい・やりたくない」ではなく「できる・できない」という基準で仕事をしていると語っています。

社会で必要な能力

林先生はよく社会から求められるのは「解決」か「創造」で、どちらかの能力が高ければ、社会で認められる存在になると言っています。

林先生がテレビでやる仕事で言えば「解決」とは視聴率を上げること、予備校講師であれば多くの生徒に来てもらうことです。

「創造」の能力がとてつもなく高ければ、ネットで服のサイズも選べるようにしたZOZOTOWNの前沢社長のように、社会から認められる人間になれます。

大なり小なりどんな仕事でも「解決」と「創造」は必要だと思います。

売上を達成という課題をどう解決するか、お客さんの課題をどう解決するかというのはどの企業も行っていることです。

また、新しい販売制度の導入や、会社を効率的に動かしていく仕組みを作ることは「創造」と言えるでしょう。

やりたいことのある幸せ

林先生のように優秀で「できる」ことの多い能力のある人間は正直いって羨ましいなと思います。

林先生が書いていたマトリックスを見て、私は以下のように感じました。

『やりたいこと』と『できること』③

「やりたい」ことも少ないし、「できる」ことも少ない。

「俺って本当に社会に必要とされている人間なのかな」

そう感じることは多々あります。

大学卒業後は給料が良いからという理由で生命保険会社で働きました。

しかし、会社に入れば「やりたくない」ことを「できる」ようにならなければいけません。

7年間働きましたが、その間を一言でいうなら『辛抱』です。

少しずつできるようになる喜びもありましたが、次から次へとできないことを克服していかなければいけません。

そして、色んな理由はありますが、会社で「できない」ことが増えて退職しました。

これが40代、50代でこうならなくて良かったなと今では思っています。

それからしばらくして、自分の「やりたい」ことが30歳を過ぎて見つかりました。

このブログのトップページにも書いている『英語を話して、世界につながる』ことが私のやりたいことです。

その後、小さな広告代理店で2年間働きながら独学で英語を学び、会社を辞めて、マルタへ語学留学をしました。

「やりたい」ことが明確でなかった時期が長かったので、「やりたい」ことがあることは幸せだと感じています。

やりたいことがなければ、やってみればいい

現在、世の中にあるものからでしか個人の新しいアイデアとか、新しい科学技術は生まれないのだと考えています。

未来の100年後に作られているものは、今作ることはできないし、100年前の人には今作っているものは作れません。

それと同じように個人の場合も『経験』というものはすごく大切で、やりたいことがないと嘆く人がいるのであれば、色んなことを『経験』することをオススメしています。

知らないことや、「実はそうだったんだ」というものは世の中にあふれています。

人は『経験』したもの、見たもの・聞いたもの・触ったもの・嗅いだもの・味わったもの、つまり五感で実際に体験したものの中でしか判断できません。

世の中にある私たちが知る情報は、広告会社の方々の頑張りによってよく見えるものが多いです。

それらは広告会社が良く見せているだけであって、実際に個人がどう思うかは体験してみないと分からないことも多いです。

「やりたいことが見つからない」

というのであれば、

色んなアルバイトを経験したり、色んな職業に触れることができる仕事をしたりすると新しい発見が多かれ少なかれあります。

ボランティアに参加したり、旅行したり何でもかまいません。

とにかく、自分で見て、触って、感じてみることが重要だと思います。

やりたいことがなければ、今を楽しみながら、とりあえずやってみればいい。

やっていることを通じて色んなことを知ったり、体験することができます。

やりたいことで生きる難しさ

資本主義に生きる以上、お金は切っても切り離せない存在です。

「やりたい」ことをやるためにはお金が必要ですし、「やりたい」ことでお金を稼ぐのはとても大変です。

今、こうやってブログを書いているのも「やりたい」ことでお金を稼ぐ一つの手段として考えています。

これは広告代理店で少しだけ働いた経験が生かされていると思います。

そして、林先生の言葉でいうなら『創造』して、世の中に『英語を話して、世界につながる』ことを広めていきたいと考えています。

日本人同士で英語力向上をするためのワークショップ、外国人と日本人を結びつけるサービス、語学を学ぶためのビジネスなど、既存のものを活かしながら、新しいサービスとなり得るアイデアがいくつかあります。

そのために、20以上のオンライン英会話で英語を学んできましたし、マルタへ語学留学にも行きました。そして、東ヨーロッパをバックパックで周りました。

なぜなら『経験』が糧になると考えているからです。

しかし、やりたいことでお金を稼ぐためにはいくつもの壁があって、個人の能力、資金の面で「やりたい」が「できない」ことが多くあります。

ただ、個人の能力に関して言えば、やり続けなければ分からないこともあると感じることも多いです。

なのである程度『継続』することも大事です。

「やりたい」かつ「できる」ことに変えていく作業が必要なってくるわけですが、これがかなり大変です。

このまま、お金を稼ぐことができなければ、借金を背負うことはないですが、貯金は0になります。

上手くいっても、上手くいかなくてもこれは自己責任です。

やりたいこと=楽しいこと、ではない

楽しいことはずっと続けていても楽しいですが、やりたいことをやろうとするとすべてが楽しいわけではありません。

楽しくないことも考えなければいけません。

例えば、私はゲストハウスでアルバイトをしていましたが、その会社のメリットと私のメリットが一致すると考えて、「英会話のワークショップ」を提案しました。

プレゼン用の資料を作って「本気度をアピールすること」、「自分の考えをまとめること」、「分かりやすい資料して提案を通すこと」で自分のやりたいことを実現させようとしました。

プレゼン資料を作ることも、責任者にプレゼンすることも慣れてはいますが、楽しいとは一切思いません。

でも、自分のやりたいことを実現するためには必要不可欠だと思うからやっているだけのことです。

このプレゼンに関しては残念ながら、会社の業態が将来的に変わるということでいったん白紙となってしまいました。

「やりたいこと」=「楽しいこと」ではありません

ただ、会社に課された責務だけでやっていたような仕事とは違って、楽しいと感じる部分はもちろん多いです。

最後に

私の20歳前後での人生でやりたいことは「幸せな普通の家庭を築くこと」でした。

そのために、そこそこ良い大学に入って、大学卒業後はそこそこ良い会社に入りました。

おそらく、会社を辞めずにそのまま人生を歩めばそこそこ大きな企業のサラリーマンとして中流階級な生活を送れたと思います。

しかし、30歳を過ぎ、会社を辞めて今はやりたいことのために頑張っています。

周りの友人や家族からは「もったいないな」と言われますが、正直あまり気にしていません。

やりたいことのために頑張ることの方が楽しいというのもありますが、人の意見に左右される人間でもありません。

私の恋愛に関しては、誰も興味ないでしょうからここでは語りませんが、30歳までに結婚できなかったことが、新しくやりたいことが見つかった要因だと考えています。

おそらく、30歳までに結婚して家庭を持っていれば、今もそこそこ大きな会社で働いていたでしょう。

少なくとも、マルタへ語学留学や、東欧をバックパックをしたりはしていないと思います。

「幸せな普通の家庭を築くこと」というのが遠のいたことで、新しく「やりたい」ことが見つかりました。

「やりたい」ことがあれば、まっすぐそれに向かって走っていいと思います。

しかし、先ほど書いたように『継続』することはとても重要だと思います。

少なくとも3年間は『継続』してできるようなことを私は「やりたい」ことと自分の中で定義しています。