日本人、中国人、韓国人がマルタで一つ屋根の下に住みました。

日本人、中国人、韓国人がマルタで一つ屋根の下に住みました。

マルタ滞在中は色んな国の人とも友達になりました。もちろん、アジア圏の国から訪れる人も多く、中国人や韓国人、台湾人とも出会うことがあります。

同じアパートに一緒に住むことになった韓国人や中国人もいたので、彼らに焦点を当てて記事を書こうと思います。

マルタのアパートでアジア料理

アパートの人の入れ替わり

まず、語学学校のアパートに入ることになったのですが、学生は時期によって変わるので、アパートにも人の入れ替わりがあります。

もちろん、私も例外ではなくマルタ3ヶ月の留学中、アパートでが人の入れ替わりが度々行われました。私が滞在していたアパートにはRoomA~Cの3つの部屋があって、私がいた期間はだいたい次の通り人が入れ替わっていました。

 RoomARoomBRoomC合計
1週間目日本人、イタリア人ブラジル人、韓国人トルコ人×26人
3週間目日本人、イタリア人ブラジル人、韓国人トルコ人5人
5週間目日本人、イタリア人ブラジル人、トルコ人韓国人×26人
7週間目日本人、イタリア人イタリア人×2韓国人×26人
9週間目日本人、中国人イタリア人×2韓国人×26人
11週間目日本人、中国人(空室)韓国人×24人
12週間目日本人、中国人ロシア人韓国人×25人

同じアパートのアジアンファミリーを紹介します

どんなアジア人と一緒にすんでいたか、記載していきます。名前はイニシャルネームです。

韓国人L

最初にアパートの同居人となったのはLです。彼は49歳でしたが、歳の割には若く見えます。香港でアパレルの会社のマネージャーをしていて、休みを取ってマルタに来ているそうです。日本人っぽい雰囲気があるなと思ったのですが、彼の祖母は日本人だそうです。香港で仕事をしているので韓国語だけではなく、中国語も話せます。

次に来る韓国人TとDがアパートにくるため人数調整のために別のアパートに行きました。しかし、そこがパーチャビルという歓楽街周辺だったため騒音に悩まされていたようで、何日かしたら夕飯と睡眠だけはなぜか私たちのアパートによく戻ってくるようになりました。

たぶん、移り住んだアパートより心地よい環境だったのだと思います。彼の話しだけでも、一つのネタになるくらいあるので、次の機会に掲載します。

韓国人TとD

Lが別のアパートに行った後、TとDが入居しました。彼らは友達同士で、同じ飛行機に乗ってマルタに来ました。どちらとも26歳の若者です。

彼らは英語を頑張ろうと、自分たちの会話も英語でするように心がけていました。もし私だったら日本からきた友達と英語で話すのは恥ずかしいだろうなと思うのですが、彼らは英語を覚えようと日常の会話も挑戦していました。

Tはよく彼女とスマホでテレビ電話しているのを覚えています。たまに彼女の機嫌が悪くて、「なんで怒っているか分からない」と言っていましたね。性格は陽気で、真面目でクラスの人気者のような感じです。学校の生徒会長をしていたそうです。

マルタの街中でドレッド風にしてくれる理髪店みたいものが路上があって、冗談で「これやってみたら?」というと、私が日本に帰った後、本当にドレッドヘアになっている写真を送ってくれました。英語はそこまで得意ではないですが、最終的には英語の勉強を一生懸命頑張って、テストをパスして私と同じIntermediate(上から二番目のクラス)だったようです。

Dは金髪で女性から人気がありました。初めの週にトルコ人の女性から素敵だと言われていたことがありました。好奇心が結構あって、Facebookで友達になったマルタに住んで韓国語を勉強しているベルギー人がアパートによく遊びに来ていました。

写真を撮るのが上手でもあって、このMalta Englishでも彼に提供してもらった写真を多く掲載しています。彼は英語を韓国でしっかりと勉強していたのだと思います。初めの頃、英会話は得意ではありませんでしたが、話せるようになっていくスピード感はとても速かったです。

中国人S

イタリア人のルームメイトと2ヶ月間一緒に過ごした後、新しいルームメイトは20歳の英語圏の大学を希望する中国人でした。彼はAdvanced(私はUpper-Intermediateだったので一つ上のクラス)のクラスにいましたが、以前は同じクラスにいたので知っていました。

よく祖母と連絡をしているのが印象的でした。私たちのアパートの中で最も若いですが、最も英語が堪能で、アパートにいる時は学校とは別にIELTS(世界的に有名な英語検定試験)を受けるために毎日2時間以上勉強をすることを日課にしていました。

陽気な韓国人のTと悪口じゃないけど憎まれ口を冗談で言い合っているのが面白かったです。人の心を掴むのが上手なイメージがありますが、先輩や上司などとも同等に話せるような感じです。

彼はカナダの大学に合格し、将来的にはビジネスをして一儲けしたいそうです。

日本人(私)

韓国人Lの次に年齢が高かったことから、最後の一ケ月はUncle(おじさん)と呼ばれていました(笑)。たぶん、年齢的にも10歳近く離れていたので、本当に親戚のおじさん感覚だったと思います。

アパートの生活はたまに勉強したり、Youtubeを見たり、海に行ったり、ふらっと買い物にいったりと気ままな行動をとっていましたね。買い物にいったら、マルタは暑いので、よくみんなにアイスクリームを買って帰っていましたが、今考えてみるとこういうところも親戚のおじさんぽい感じですね。

いつもインスタントラーメンやパスタなど麺類ばかり食べていたので、たまにはご飯も食べろよと心配されていました。なので、韓国人や中国人がたまに料理を作ってくれることがありました。

マルタ最後の3週間、そして最終日

2人のイタリア人が帰国した後、私たちのアパートはアジア人で支配されています。8月下旬だったので、オンシーズン(6~8月)も終わりかけていた時期です。学校も人は徐々に少なくなって、マルタでは夏には珍しい雨もこの時初めて見ました。

最後の3週間、アパートでの生活はとても楽しく、本当に家族のような感じでみんな生活していました。食事を一緒にしたり、音楽を一緒に聞いたり。中国でも韓国でもやはり日本のアニメは人気なようで、ドラゴンボールや幽遊白書のアニソンを一緒に聞いていました。

語学学校では、上のレベルのクラスに行くためには試験をパスしなければいけません。チャンスは月に一度です。韓国人TとDは一生懸命に試験勉強をしていました。

私はというと、みんなからは試験受ければいいのにと言われていましたが、Intermediate(上から二番目)のレベルでもついていくのに必死だったので、advanced(一番上)のクラスにいくための試験は一度も受けませんでした。

そんなこんなで、私が帰国する日が来ました。

オリンピックでメダルを取った陸上選手が国旗を背に掲げるくらい、大きなマルタの国旗を買って、みんなにメッセージを書いてもらい、最後の食事を一緒にして彼らとの時間を楽しみました。

午前3時30分に迎えが来るので、彼らは寝て、私はリビングで学校が手配してくれていた車を一人で待っていました。車が迎えに来た時、彼らは起き上がって最後は見送ってくれたのです。

なんとも優しく、思いやりのあるアジアのルームメイトと一緒に過ごせた時間がとても幸せでした。

まとめ

中国や韓国を嫌う風潮が日本にあるのは事実です。しかし、マルタの経験を通じて感じたことは、私たちはテレビなどのメディアによって過大に伝わったイメージに流されすぎているのではないかということです。

確かに、政治的には日中韓はにらみ合いやけん制が続いていますし、自国の利益を守ったり追求しようとする隣国がどうしても悪いように見えざるを得ないのかもしれません。

そこに住んでいる人は日本のことをどう考えているかというと、ニュースで見るようなほど反日感情を持った人は多くなく、マルタで出会った中国人と韓国人からそのような感覚を感じることはありませんでした。

韓国の人たちはマルタに留学する人数も多く、多くの人に出会いました。若い世代だからなのか、どこで習ったの?というような日本語をいくつも知っていたり、日本へ何十回も旅行に行ったことがあったり、日本へ関心を寄せる人が多かったです。

中国に関していえば、実は私は中国の厦門(アモイ)へ旅行したことがあり、当時、海上保安庁が中国人船長を拿捕したことがニュースになっている真っ最中でした。日本人だと分かると嫌な顔をされるんじゃないかと思ったのですが、彼らは日本人が来たといって親切に迎えいれてくれたこともありました。

私はこう思います。

日中韓の外交やごく一部のマナー違反者などの取り上げられた情報が一人歩きしているようで、中国や韓国の文化や人々を見れていないのかもしれません。つまり、彼らを一人の人間としてみた場合、日本人と何ら変わりはないし、日本人よりも秀でたところや良いところが彼らにもあるのです。もちろん、日本人もです。

私がたまたま良い中国人、韓国人に出会っただけかもしれません。

本当にそうでしょうか?

実際に、家族や友達と言える人間に出会ったら、正直、国籍なんて無意味にしか思えなくなりました。彼らが何人であるかというより、どういう奴かの方が大事なのだと。